ああ、もう!何度言っても雑巾はそろわない、ほうきはぐちゃぐちゃ…どうしたらいいんでしょうか…
教室内で起きるすべてのことを教員が把握・注意することは不可能です。だからこそ、子どもたちが自分でできる「システム」を作ることをおススメします。
システム?うーん、なんだか難しそうです…
まあまあ、まずは読んでみてくださいな。子どもたちを注意する回数が減るどころか、認める回数が増えること請け合いです。
「何度言ったらわかるの?」…その答えは。
教員をやっていると、何度も何度も同じことを口にしなくてはいけません。相手は未熟な子どもですので当たり前のことなのですが、ついつい「何度言ったらわかるの?」声を荒らげてしまうこともあるでしょう。
この「何度言ったらわかるの問題」、答えがあるようです。「ビリギャル」の著者としても知られる坪田信貴さんは、インタビューに対して次のように答えています。
大人はよく「何度言ったらわかるの!」って子どもに言っちゃいますよね。恥ずかしながら僕も塾の子どもたちに同じことを言っていました。じゃあ何度言えばわかってもらえるのかな。結果は平均532回でわかってもらえました。
https://media.kaizenplatform.com/n/n1af99b2aed1d
なんとその回数、532回!
10回や20回では全然足りないということですね。子どもたちに何かをわかってもらうためには、ただ言うだけでは500回を超えるほどの働きかけをこちらがしないといけないようです。当然ながら、多忙な我々には到底できることではありません。
「わかるまで注意する」と子どもたちはウンザリする
多忙だから500回も注意してられません、と言いましたが、これは教員側の視点です。ここで、子どもたちの視点に立ってみましょう。
500回も注意を受けたとします。確かに、教員の伝えたいことはわかるかもしれません。けれども確実にウンザリするでしょう。たとえ子どもたちが「わかって」くれたとしても、これでは良い関係を築くことはできません。
口で言ってわからせるには500回もの回数が必要、けれども500回も言ったら子どもたちはウンザリ…では、どうしたらよいのでしょうか。
子どもたちが自分でやれるシステムを作る
これだけが唯一の答えではないでしょうが、僕は子どもたちが自分でやれるシステムを作ります。
例えば雑巾ラックの雑巾がきれいに整頓されていないとしましょう。言ってやらせるのは簡単です。「雑巾がきれいに整頓されていないよ。きちんとやろうね」と言うだけです。何人もの心ある子たちがはっとした顔で動き出し、雑巾は整頓されます。でも、その場限りです。3日後にはもとの状態に戻ってしまうでしょう。そしてまた教員は「雑巾がきれいに整頓されていないよ…」と言うのです。子どもたちがわかるまで、500回以上も。
なぜ雑巾が整頓されないかと言えば、誰の責任であるかが曖昧だからです。ですから僕ならば雑巾に名前を書かせ、自分の雑巾を自分で整頓させます。整頓できていない雑巾の持ち主に伝え、直させます。名前が書いてあるので、周囲の子たちも注意を促すようになります。たったこれだけのことで、雑巾はきれいに整頓されるようになります。それも、子どもたちの手によって。
注意する回数が減り、認める回数が増える
子どもたちの手で雑巾が整頓されることは、とても大きな意味を持ちます。
教員が注意を促して雑巾が整頓された場合、子どもたちは指示に従っただけです。教員としても、子どもたちを褒めたり認めたりするチャンスはありません。「よく指示に従ったね」なんて言いませんよね。
一方で子どもたちの手で雑巾が整頓されることは、結果は同じであっても過程が全く異なります。子どもたちを認めるチャンスは無数にあります。例えば…
このように、子どもたちへの注意の回数は減り、子どもたちを認めていく回数が増えていきます。このことによるメリットは計り知れません。ざっと挙げるだけでも、
①教員の負荷が減る
②子どもたちの有用感が高まる
③子どもたちの所属感が高まる
といったところが思い当たります。子どもたちが自分でできるシステムを作ることができれば、教員は子どもたちを褒めたり認めたりしていくだけで学級がうまく回るようになっていきます。
まとめ
「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」
ー山本五十六ー
いかがでしたか?学級を良い状態にしていくには、教員に余裕がなくてはいけません。学級で起きるすべてのことを教員が把握し、指示しなくてはならない状態では、それだけでパンクしてしまいます。子どもたちが自分でできるシステムを作ることで教員の負担を減らしつつ、子どもたちを褒めたり認めたりして伸ばすことが可能です。ぜひ自分の学級でうまくいくようなシステムを考えてみてください。
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