「学級王国」はよく聞く言葉ですが、「学級民主国家」ですか…よくわからない言葉ですね。
学級経営を「君主制」ではなく「民主制(共和制)」で行いました、ということです。教員がルールを決めるのではなく、教員も学級の構成員の一員である、というスタンスです。
教員は王様ではなく、大統領でもない
「学級王国」という言葉を聞いたことがありますか?
学級をひとつの国として考えた時、教員がその”王”として君臨しているかのような学級の状態を「学級王国」と呼ぶことがあります。
特に学級担任制を導入している小学校の場合、教員に権力が集まりやすい傾向にあると思います。したがって、教員が”王”となりやすい条件が整っているといえるでしょう。国のもつ権力は「行政権」「立法権」「司法権」の3つに分けられますが、学級という限られた閉鎖空間の中では、そのすべてを学級担任が手にすることも可能です。
学級経営を民主主義に基づいて行う
述べてきたように、教室はとても閉鎖された空間です。そこで教員が権力を握ることも可能なのですが、それは子どもたちの主体性や協調性を育むことにはつながりません。というよりも、まったくの逆効果です。教員の顔色をうかがいながら日々過ごしていては、そのような力が育つはずもありません。
ですから、僕はクラスを民主主義で動かします。
とてもわかりにくいとは思いますが、漠然とした「民主主義」についてかなり詳しく説明していると思います。要は「話し合いで決める」「法(ルール)が上」という心構えを教員がもっておくことです。子どもたちに何かを守らせたいときにも、「(先生が決めたルールで)○○しましょう!」では、子どもたちはついてきません。権力によって仕方なく従わされているだけのことです。そうではなく、教員も組織の構成員の一人として、「○○したいのだけれども、どんなルールを決めたらいいかな?」と提案をする。子どもたちとともに話し合い、決定する。そしてそのルールを、教員自身も守る。そんな姿勢を見せることこそが、教室に民主主義を根付かせることになるでしょう。
学級民主国家に必要な前提条件
学級を民主国家として運営していくためには、いくつかの条件があります。
①について、教員が子どもたちをどのように扱っているか、ということは、子どもたち同士の関係に大きな影響を与えます。教員が子どもたちを不平等に扱っていれば、当然ながら子どもたち同士の関係はいびつなものになります。平等に扱われたり、発言を認められたりしていないのであれば、学級を民主主義に基づいて運営することは難しいでしょう。
②について、子どもたち自身が「ルール」をどのようにとらえているのかがポイントです。集団の利益を鑑みたときに、不都合であれば変えることができる、ととらえさせたいものです。そうでなくては、話し合いの必要を感じなくなるでしょう。
③について、しばしば指摘される民主主義の欠陥として、時間がかかることが挙げられます。意思決定までの時間が非常に長いため、教員に余裕がない状態では、子どもたちの活動を待つことができないでしょう。
まとめ
子どもたちが主体的かつ協同的に動くことは、満足度を上げることに影響しているでしょう。
いかがでしたか?教員にとっても、子どもたちが主体的に協調しながら行動している姿をみるのは、とてもうれしいものです。しかしそこに行きつくためにはいくつかの条件をクリアする必要があります。子どもたちの力を伸ばすためにも、まずは教員の余裕を生み出したいものです。
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