平日は8時まで仕事ですし、休日は部活がありますし…趣味の時間が全然とれません!
教員は多忙ですからね。
ずっと働き続けて、人生終わっていくのでしょうか…?
まあまあ、そう悲観せずに…。確かに多忙ですが、やり方次第で時間は確保することができますよ。今回はそのあたりを紹介していきますね。
いつ、ブログを書いているのか?
Twitterでのやり取りの中で、このような質問を受けました。
結論から言うと、21時~22時に書いていることが多いです。子どもたちが寝てからの時間が、僕にとって自由になる時間ですからね。ただ、この時間にブログを書くためには、日中にアイデアを練っておかなくてはなりません。
授業中のある子の発言だったり、業後の職員室での同僚との会話であったり、ひらめきは突然にやってきます。「あ!このことをブログに書きたい!」そう思ったときにすぐにメモができるよう、測量野帳は常に携帯するようにしています。
そうやって日中に書き溜めたアイデアを、夜にブログとして形にする…というパターンが多いですね。いわゆるスキマ時間を活用するイメージです。
やらないことを決める
1日は24時間しかありません。
ですが、やりたいことは山のようにあります。
ここで出てくるのが、トレードオフの考え方です。
時間は有限である。他方で、欲望は無限である。この関係を解決する方法の一つは、「やらないこと」を決めることです。
24時間の間にできることは、かなり限定されてしまいます。8時間は睡眠・排泄・食事にかかるとして、残り16時間。その時間を、働くことだけに費やしてもいいのでしょうか?
働くことが生きがいである、という人にも、少なからず出会います。その生き方自体を否定はしませんが、個人的には遅くまで学校にいる教員よりも、趣味に多分に時間を使っている教員の方が、面白い教員になるように思います。人間としての幅が広がるように思います。当然ながら、授業も面白いと思います。人はパンのみにて生きるにあらず。
また、何よりも働くことだけに人生の時間をささげることは、僕はまっぴらごめんです。
だからこそ、「やらないこと」を決めます。部活動の日数。掲示物。学級通信の頻度。提出物へのコメント。どれも、やった方がいいに決まっています。時間をかけるだけ、子どもたちの成長につながるに決まっています。でも、”あえて”やりません。自分の時間を作り出すためです。
時間をかければかけるほど、学級経営も、授業も、良いものになります。それは否定しません。それがある意味、教職のやりがいなのかもしれません。ですが、僕は自分自身の幸せを考えたとき、その働き方でよいのか?一生続けていくのか?と考えるようになりました。
家族との時間や自分のための時間を過剰に捧げてまで、この職を全うする覚悟があるのか?
ぜひ、自問自答してください。
遠慮をやめる
帰ろうと思えば帰ることができるのに、他の教員の目が気になって、帰ることができない…。
そんな経験、ありませんか?僕はあります。
「自分だけ帰っていいのかな…」
「まだ先輩や主任は帰っていないのに、帰りづらいな…」
と思っている教員は、かなり多いのではないかと思います。
そんなときには…
思い切って帰ってしまいましょう!!
まー、確かに何か思われるかもしれませんが。
やがて「あの人は早く帰る人なんだ」という認識ができてきます。それが普通になっていきます。ですから、仕事を振られるときにも
「定時過ぎてて申し訳ないんだけど…」と言われることが多くなります(経験談)。
勤務時間を意識していますよ、とアピールすることは、未来の仕事量も左右しかねませんので、重要だと思っています。
けれどもそこにつけこんで、
「早く帰っているんだから、分掌を増やしてもいいよね?」
と言ってくる管理職もいます。そんなときは、
「いいですが、一つあたりの質は落ちますよ?」
と言っておきましょう。
何よりも自分の人生が大切だ、と思っているのなら、まずは勤務時間を大切にしましょう。自分自身や家族のために使える時間は、有限であり貴重です。
仕事を先取りする
ルネ・デカルトは「方法序説」の中で、こう言っています。
「困難は分割せよ」
仕事は、無限にあります。教員に限ったことではないでしょう。そんな仕事を、先に先に少しずつやっておく。後に来るであろう「困難」を、あらかじめ「分割」しておく。ちょっとしたことですが、これが後々、じわっと効いてきます。
「早く帰れって言っているじゃないか!」とのご指摘もいただきそうですが、どちらも重要なんです。先にあることを毎日少しずつでも進めておくと、早く帰ることが可能になってくるイメージですね。
このように、定期的にやってくることが決まっている仕事については、先取りしておくことが可能です。定期テストの問題を一日10点分ずつ作っても良いですし、所見を1人ずつ書いてもいいでしょう。先々のことを直前に考えるのではなく、来ることは決まっているのですから、少しずつ考えておくことが重要です。
こうして「分割」されることで、それぞれの仕事の「困難」の度合いは小さくなります。そして余裕が生まれ、早く帰ることが可能となるのです。
まとめ
結局のところ、教員の職業をどうとらえるか、何を大切にするか…が最も重要です。
いかがでしたか?教員の世界では、「長時間労働をする教員=頑張っている良い先生」という謎の評価がありますが、本当にそれでいいのでしょうか?自分自身の人生や家族の寂しさの上に成り立つ実践に、果たしてどれほどの価値があるのでしょうか?教員の働き方改革は、意識を変えるところからだと僕は思います。
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