アドラー心理学において、承認欲求は大きなテーマの一つです。
アドラー心理学は承認欲求を否定しています。
承認欲求といえば、そう、みなさんご存じの、「マズローの欲求階層説」があまりにも有名です。
はんめんこのサイトがわかりやすかったです。
簡単にさらっておくと、人間には食欲や睡眠欲などの「生理的欲求」から始まり、最も高尚な「自己実現欲求」までの5段階の欲求がある、という説です。
承認欲求は上から2番目に位置し、他人から認められたり、尊敬されたりしたい、という欲求のことです。
普通にみなさんに備わっている欲求でしょう。
だれだって褒められたらうれしいし、認められたら喜ぶものです。



しかし。
僕の思考の軸となっているアドラー心理学では、この承認欲求を否定しています。
それはなぜか?ということと、では教育の場にどうやったら生かせるのか、ということを紹介しようと思います。
承認欲求とは
結論から述べます。
承認欲求を満たすということは、
他者の期待を満たすために生きることになるから
です。
具体的に考えていきましょう。
人は誰だって認められたい。
それでこそ自分の行動が正しいのだと確信を持つことができるし、自分に価値があるのだと感じることができます。



それはその通りでしょう。
ともすれば劣等感にまみれがちな私たちにとって、他者からの「いいね」は、とてもとても心に深く刺さります。
けれども、その先には何があるのでしょう。
待っているのは、「いいね」をもらうために行動するようになる、ということです。
承認欲求が満たされると、心地よい。
気分がよくなる。
人格そのものまで、肯定される気がする。
そういうものでしょう。
けれども、その快感を得るために行動してしまうようになってしまっては、その人生はだれのものになるのでしょうか。
他者からの承認を求め、その期待に沿うように行動するようになったら、自分の人生を生きていると言えるのでしょうか。
ですから、アドラー心理学は承認欲求を明確に否定します。
他者の期待など、満たす必要はありません。
大切なのは、自分がどのように生きるか、ということなのです。
教育への応用
承認欲求を満たすように行動していくと、他者の期待に沿うように行動するようになってしまう。
では、この事実は教育現場において、どのように応用することができるのでしょうか。



学校現場もまた、承認欲求を満たそうとする試みであふれています。
教師からの声掛け・添削、順位、通知表、受賞の報告など、枚挙にいとまがありません。
学校教育は承認欲求を満たしていこうという立場ですので、当然のことです。
その最たるものが、賞罰教育です。
いいことをすれば称賛され、悪いことをすれば罰せられる。
当たり前のように感じられます。
確かに、社会や集団の秩序を保つために、一定以上の効果があるでしょう。
けれども、この賞罰教育の一番の弊害は、「称賛されなければ、やらない」「罰を与えられなければ、やってよい」という考え方を、無言のうちに生徒たちに伝えている、という点にあります。
つまりは善悪の判断基準を、他者の目があるかないかによって変えてしまうということです。
見ていなければ良いこともしないし、見られていなければ悪いことも平気でする。
他者の目を気にして、自分はどう思うのか、という最も大切なことに触れない。
これらが、賞罰教育の弊害です。
学校教育の流れが承認欲求を満たし、かつ賞罰教育を推進する方向にある限り、この流れを変えていくことは容易ではありません。
ですからそれらの弊害を知ることが、まずは第一歩でしょう。
例えば、ゴミ拾いをしている生徒がいたとします。「えらいぞ」とほめるのか、「ありがとう」と感謝するのか。
その声掛けひとつとっても、生徒が感じることは違ってくるでしょう。
承認欲求を満たされるからというわけではなく、自分の中から湧き上がるもの(カント風にいえば”良心”でしょうか)に従って、人生を生きていく生徒を育てていきたいものです。
まとめ



ずいぶんと固い話になってしまいました。
教師がどのような思想をもって生徒に接するか、ということは、とても大きな意味をもつでしょう。
少しでも興味がわいたのなら、アドラー心理学を学んでみることもよいと思います。












コメント
コメント一覧 (2件)
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