
「褒めて伸ばす」「叱って伸ばす」あなたはどっち派?

褒めて伸ばす方が、今の時代に合っているんじゃないの?

叱ることに対する反応も、良いものばかりではないよね。叱ったら保護者からクレームがついた、なんてことは現場ではよくあることです。保護者うるせえぞ!とも思うのですが、納得させる叱り方も教員には必要な技術です。

でしょ?だったら褒めておけばいいじゃんかよ。クレームは来ないでしょ。

まあねえ。でも褒めることっていいことばかりじゃないんですよ。そのリスクを知っておいてくださいね。
褒めることのリスク
結論から言うと、相手の期待に沿うような行動をとらせてしまうリスクがあります。
承認欲求を否定せよでも述べた通り、承認欲求を満たそうと相手の期待に沿う行動をとることは、自分自身の人生を生きることにはつながりません。承認してくれる他者のために生きることになるからです。
具体例を出しましょう。
Aくんがまじめに清掃をしている場面に出くわした教師(あなた)。
「おっ、えらいぞ。頑張っているな」と声をかけました。
Aくんは褒められて、とてもうれしい気持ちになります。ますます清掃を頑張ろうという気持ちになりました。

とってもいいじゃないですか!

問題はこの後よ~
次の日、張り切って清掃しているAくんの姿がありました。
しかしあなたはその様子に気づかず(教師が見なきゃいけない生徒ってたくさんいるからね)、Aくんに声をかけそびれてしまいました。
Aくんの心中は穏やかではありません。今日も褒めてもらい、うれしい気持ちを味わいたかったからです。

Aくんの目的が変わってしまったことに気づきましたか?

ん?どういうこと?

「清掃すること」から「褒められること」に変わっているのですよ。そしてそのきっかけとなったのは…

教師が褒めたこと…?

その通りです。これが、褒めることによって引き起こされる心の変化であり、褒めることのリスクです。
では、どんな声掛けを?
褒めることにはリスクがある、という認識をもって日々の教育活動にあたるだけでも、ずいぶんと違うように思います。少なくとも、何でもかんでも褒めようとはしなくなりますよね。相手の心を意図せずコントロールしてしまう可能性がある行為なのだと、心に留めたいものです。
では、どうしたらよいのでしょう。
以前述べたように、アドラー心理学は賞罰教育を否定しています。褒めることも賞罰のひとつです。
答えのひとつは、「認めること」です。キーワードは、「ありがとう」です。
例えばさっきの例では、僕なら「きれいになって気持ちがいいね。ありがとう」と伝えます。褒めるとは、目上の人からの上からの行為です。目下の人への言葉がけです。そこには支配しようとする意図がありますし、操作しようとする欲求があるものだと思います。教育の一面として、そういった面があることも否定はしません。が。その先には、教育の目的である「自立」はないのではないか?と思います。
「頑張ってよかったな」という気持ちは味わってほしい。その気持ちが生きる糧になるでしょう。でも、間違っても「褒められてうれしいな、もっと褒めてもらいたい」とは思わせたくありません。その先には他者の望むままに生きる人生しかないからです。
学校現場で当たり前のように行われている、「褒める」という行為。今一度考えるきっかけになればいいと思います。
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