なかなか「叱る」ことがうまくいきません…!どうしても感情的に怒鳴ってしまいます…
子どもたちは未熟ですから、それゆえに規範を教えていくことが必要です。「叱る」ことはとても重要なことだと思っていますが、だからこそ難しいことでもありますね。
静かに諭していく方がいいとは思うんですが、カッとなって大声を出してしまうんですよね。そして後から思い出すと自己嫌悪してしまいます。
なるほど。…僕も経験がありますよ。感情を抑える「アンガーマネジメント」も重要ですが、それよりも今回は「段階的な叱り方」について紹介します!
「叱る」と「怒る」の違いとは?
そもそも、「叱る」と「怒る」の違いは何でしょう?よく言われるのは、「叱る」は感情的でなく、「怒る」は感情的であるというもの。本当にそう言えるのでしょうか?まずは言葉の意味を確認してみましょう。
このように、やはり「腹を立てているかどうか」が両者を分けるポイントになりそうです。
けれども、この「腹を立てているかどうか」。子どもたちがわかるのでしょうか?言い換えれば、子どもたちが「叱られた」か「怒られた」か、区別することができるのでしょうか?こここそ、子どもたちとの関係を築く、もしくは壊さないための叱り方のヒントになると思います。
つまり、教員側があくまで冷静に「大声を出して」子どもを「叱った」としても、子どもたちはそうは受け取らない可能性が高い、ということです。子どもたちが「腹を立てて」「怒られた」と感じたら、それは「叱った」のではなく、「怒った」ことなのです。この意味で、「叱った」か「怒った」かの区別をつけるのは教員側ではなく、子どもたちだということです。これはとても重要なことです。
それでは子どもたちが「叱られた」と感じるためには、教育者としてどのような手段をとればいいのでしょうか。大声を出すことは論外として(はたから見ればそれは「感情的」な行為です)、どういった方法が考えられるのでしょうか?僕はその指導が生命や身体の危険を伴わない場面では、いつも段階的に叱るようにしています。
段階的な叱り方
「腹を立てている」「怒っている」と子どもたちが受け取らないためには、初めは弱く、徐々に強く注意を促す必要があります。そうすることで、子どもたちに「自分の行動が良くなかったから叱られた」という思いを持たせることができると考えているからです。
1 目を合わせて無言で注意する
まずは叱りたい行動をしている子と目を合わせ、「いけないよ」というサインを送ります。それは頷くことであったりジェスチャーであったり表情を作ることであったりしますが、ポイントは無言で行うということです。
子どもに限ったことではありませんが、人間には自尊心があります。叱られるということは、その自尊心を大なり小なり傷つけます。そして自尊心を傷つけられた人間は、傷つけた人間のことを恨んだり憎んだりすることがあります。問題行動を叱ることで注意することは教員としての責務ですが、それによって子どもたちに恨みを残さないことは、学級経営を続けていくことで非常に重要です。ですから、まずは無言で注意を促します。その子以外の子どもが気づかないうちに注意することができれば、それがベストです。
2 そばに行って、本人だけに聞こえるよう注意する
無言で注意しても効果が無かった(子どもによってはまったく気づかなかったり、そもそも見られているという自覚が無かったりします)とき、もしくは再び問題行動をとるようなとき、次はそばに行き、小さな声で注意を促します。
教員が「特定の子どものところへ行き、話をする」ということは、教室の中では非常に目を引く行為です。思っている以上に多くの子どもが、「何があったのか」という好奇の目を向けます。ですので、ここでも大きな声は出しません。その子だけに聞こえるように、「良くなかったこと」や「とってほしい行動」などを短くはっきりと伝えます。ここでのポイントは短く話す、ということです。長く話すことはそれだけ周囲の目を引きますし、第一、教員がほかにすべきことを停滞させてしまうからです。必要があれば、休み時間などに補足説明を行い、その子に指導の意味を理解させるといいでしょう。
3 廊下や別室に呼んで話をする
さあ、それでも問題行動が続いてしまう場合、最後の手段です。それは大きな声で怒鳴る…ことではなく、廊下や別室に呼んで話をすることです。
後述しますが、怒鳴ることは恨みを買う以外にももう一つ、別の危険性をはらんでいるため、問題行動をやめさせるという観点からは非常に不向きな叱り方です。
問題行動を続けてしまう子を呼び、他の子どもたちの目が触れない状況を作ったうえで、落ち着いて話をします。「どうしてつづけてしまったの?」「先生としてはこうしてほしいと思っているよ」「クラスのみんなはどんな気持ちかな」といったことを、あくまでも腹を立てずに話し、伝えます。
ワザとして、普段のその子の様子と織り交ぜながら話す、というものがあります。例えばこんな感じです。
どうして授業中に何度もおしゃべりをしてしまうのかな?
だって、我慢できないから…
そっかあ。どうしても我慢できないときってあるよね。でも、先生知ってるよ。Aさんが、いつも頑張って係の仕事をやってること。みんなのために行動してくれていること。係の仕事をしているときって、遊びたい気持ちを我慢しているんじゃないのかな?
あ…そういえば、そうかもしれない。
…まあ、このようにつなげられることもあればうまくはいかないこともありますが、普段の姿を絡めて認めながら叱る、という手法は全体的に有効であると思います。叱る際は「人格を否定しない」よう気を配る必要がありますが、この手法はその点もケアできるものですので、やはり普段の関わりや接し方はとても重要ですし、様々な点で私たちを助けてくれます。毎日忙しいんですけどね。
叱ることで問題行動が強化される場合もある
さて、気を付けなくてはならないのは、教員が「叱る」という行為を子どもが望んでいる場合がある、ということです。叱ってほしい、注目してほしいからこそ問題行動を続けている場合、叱ることはむしろその行動を強化し続けることになってしまい、一向に事態は改善されません。
アドラー心理学では、問題行動の目的を考え、その段階を5つに分けます。詳しくはまた別に紹介しようとも思いますので、ここでは簡単に触れるだけにしておきます。
子どもたちははじめ、良いことをして注目を集めようとします。しかしそれがかなわない場合、悪いことをして注目を集めようとし始めます。これがまさに「叱ってほしい」ための問題行動であり、叱ることで注目を集めさせてしまえば、彼らの問題行動はますますエスカレートしていくことになるでしょう。その見極めが教員には常に求められます。
まとめ
上手く叱るって難しいです。
いかがでしたか?子どもたちが行動を改めるかどうかは、子どもたち自身が決めることです。教員は変化をうながすきっかけのひとつとして「叱る」という行為があることを忘れないでください。最終的に子どもたちが自分の行動を周囲に合わせて調整できるようになることが目的であり、叱ることは目的達成のためのいち手段にすぎません。
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