研究授業はいいんですよ。時間かけて考えるから。それより普段の授業を、他の先生はどうやってるのかって気になりません?僕はめっちゃ気になります。
指導案作って、教材研究して、えらいこと時間かけて…って準備をするのが研究授業。○月に授業やってね、とか○○先生が見に来るからね、とかいうタイプの授業です。見られることを前提にしているので、まあまあうまくいきます。うまくいくように練るからね。そのための時間もありますし。問題は、
普段の授業をどうしてんだ
って話です。
みなさんはどうしているんでしょう?教材研究にあまり時間もかけられない中での、普段の授業。ここにこそ、教師の力量が出てくるんじゃないかなって思います。僕が意識しているのは、
①1時間の授業で教科書の重要語句をおさえること
②①の重要語句同士のつながりを意識させること
③笑いが起こること(重要!)
では、順番に見ていきましょう!ちなみに僕の専門は、社会科です。
1時間の授業で教科書の重要語句をおさえる
基本ですね。この重要語句(教科書に太字で出てくる語句)は、入試でも狙われることが多いです。おさえるべき事はやっぱりおさえないといけませんよね。以上です。
重要語句同士のつながりを意識させる
これが社会の場合はミソだと思っています。社会科は「つながり」を考えさせる教科だと僕はとらえていて、例えば日本と世界とのつながり。あるいは、昔と今とのつながり。あるいは、有権者と政治のつながり。人と人のつながりで構成されるものが社会ですから、ここを意識させたいなと思って授業をしています。
具体的には、例えば中学校1年生の地理で、「植民地」「プランテーション農業」「モノカルチャー経済」が出てくるところがあります。これらの語句の意味だけをおさえていくと、無味乾燥の授業になります。なんも面白くないですね。「つながり」を意識させると、
かつてヨーロッパの国々がアフリカの国々を「植民地」支配しました。植民地支配したヨーロッパは、それらの土地で利益の出る作物を作らせます。こうして大規模に始まるのが、「プランテーション農業」です。時は流れてアフリカの国々は独立します。独立はしたものの、貧しい状況。どのように経済を発展させるかが重要な課題です。とはいえ、国にあるものといえば、植民地とされていた時代に残されたものばかり。中でも経済発展に使えそうなものといえば、プランテーションです。こうしてアフリカの国々は、プランテーションで採れる作物や、開発されていた鉱山で採れる鉱産資源に頼った、「モノカルチャー経済」に陥りやすくなっているのです。
といった話になります。つながりがあれば、ちょっと面白さがでてきませんか?
笑いが起こること
授業の中で笑いが起こること、これが最重要です。基本的に日本の授業は、教師が説明して生徒が聞く、という形態が多いと思います。現在、それを何とかしようと、「主体的で対話的な学習」(ちょっと前までアクティブ・ラーニングといわれていたものです。)を取り入れることを文科省が新学習指導要領に盛り込んでいます。ただねえ。ビルドアンドビルドアンドビルドの現場に、それをやる余裕があるとお思いですかって話ですよ。まあ、研究授業くらい時間をかければ別ですけどね。普段の授業は、なかなか変わっていかないんじゃないかなって思っています。
話をもとに戻しますが、教師が話して生徒が聞くという形態だと、非常に面白くないんです。学生時代に経験した人も多いでしょうが、ただただ、時間が過ぎるのを耐える拷問です。そういう授業をしているのも、学校から魅力を失わせているんですよね。
ですから授業では、必ず笑いが起こらなくてはならない、と考えています。笑いが起こるということは、生徒にも教師にも、その時間を楽しむための余裕があるということです。笑いの種類は、生徒が傷つくものでなければ、何だっていいんです。教師が書く文字を間違えた、教師の描いた絵が下手だった、教師の雑談が面白かった、生徒の発言が面白かった、教師と生徒とのやりとりがコミカルだった、などなど。生徒の失敗をいじっちゃダメですよ。特定の生徒が傷ついた上に成り立つ笑いは、いじめですからね。教師がきちんと自覚しないといかんのですが、まだまだ誤解している教師が多いのも現状です。
番外編:授業のターゲットは誰?
当たり前ですが、教室には様々な生徒がいます。公立の小学校・中学校なんかは顕著ですよね。ただ住所によって割り当てられた学校ですから、当然のことです。
授業のターゲットをどこにしぼるのか、という問題があります。理解の早い生徒か、遅い生徒かってことです。これはかなり重要で、理解の早い生徒に合わせると、ついて来られない生徒が出ます。そうなると、行き着く先は学級崩壊です。授業を聞いていても、つまんないですからね。では理解の遅い生徒に合わせるのはどうでしょう。これもよくない。理解の早い生徒にとっては、退屈な時間になってしまいます。すぐには問題が表面化しないでしょうが、学級崩壊へと続く道を歩んでいきます。
僕が意識しているのは、1時間の中に「理解の早い生徒に向けた時間」と「理解の遅い生徒に向けた時間」を盛り込むことです。良く考えないと答えられない発問をするときと、誰でも答えられる発問をするときがあるってことです。ちょっと欲張りな発想ですが、そうやってこそ、全員が授業に参加できるようになると思います。
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