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外発的動機づけの恐ろしさ

はんめん
はんめん

テストで100点取ったら100円ね!

あるよね、学校あるあるじゃない?それで子どもがやる気を出してくれたらシメタもんよ。

はんめん
はんめん

でもねえ、そのやり方は後々に歪みをもたらす…と思うのよ。

目次

外発的動機づけとは

外発的動機づけ: 自分の外側からの刺激によって意欲を引き出すこと。 成果に対する評価や報酬、あるいは称賛罰則などがこれにあたる。 (コトバンク)

上述の100点なら100円、とか、テストの順位が上がったら○○買ってあげる、とかそういうやつです。反対に、テストの順位が下がったら塾に入れるからね!という逆パターンのものも「外発的動機づけ」です。モチベーションを外の要因に求める、ということですね。

中学校よりも小学校の方がある気がしますが、生徒と話していると端々に出てきます。とっても心配です。親御さんは、10年後のことまで考えてその制度をとりいれているのでしょうか?

なぜ良くないのか?

一言でいうと、「報酬(もしくは懲罰)がなくては、行動できない」という思考を育てることになるからです。

例えば、労働。教員はブラックと呼ばれ、

働き方改革が進んで(?)はいるものの、ハードな職業です。いえ、元来、働くとはそういうものなのかもしれません。

あえて問いますが、なぜ我々は働くのでしょうか?

有力な答えとしては、「報酬を得るため」というものがあげられるでしょう。これも当然、答えになりうるものです。「生きていくため」ということも似たようなものでしょう。

僕自身は「他者の役に立った、と実感し、自分自身が幸せに生きるため」だと思っています。議論はあるでしょうが、自分自身の内面にその答えを求めた方が、生きていきやすくなるのではないかと考えているからです。

「報酬を得るため」に働いている人は、きっとその報酬に見合わない仕事はやらないでしょう(もちろんそういう選択もアリです。これが行き過ぎると過労死になりますから)。その人の仕事は評価されるのでしょうか?やることはやっているけれども…ということになりはしないでしょうか。

けれども、自分の内面に(例えば成長のためとか、幸せに生きていくためとか)働く理由を求めれば、「与えられた仕事以上の仕事」を行うことにもなるでしょう。教師であれば、学級通信とか教室掲示とか。給料に反映されない仕事の多いこと多いこと…。お金では評価されませんが、人間性は評価されていくものです。結果として、後者の方が生きやすくなると僕は思います。これを外発的動機づけに対し、内発的動機づけと呼びます。

前置きが長くなりましたが、子どものときに100点取ったら100円、のような考え方を親によって植え付けられた人間は、きっと外発的動機づけが自分の思考を左右していくと思うのです。結果として、報酬がないとやらない、報酬に見合った以上の仕事はしない、ということになるでしょう。

反対に、「一生懸命頑張ったよね、それは素敵だったぞ!」というような、内面に価値を置くような考え方を植え付けられた人間は、内発的動機づけが自分の思考を左右することでしょう。結果として、結果がでなくても頑張った自分を認めていったり、他者と協力して仕事を進めていったりすることができるでしょう。

問題は、ここまで見越して親は子に働きかけちゃいないってことなのです。

だからこそ、教師が少しでも違った視点を、子どもたちに示していく必要があると思います。親とは違った視点でも、ものを考えていけるように。子どもたち自身が、自分の人生を生きやすくしてくれるように。子は親を選べません。先生も選べません。でも、自分で考えて判断することはできます。そのための材料を、子どもたちに渡していけたらいいなと思います。

まとめ

まとめ

・外発的動機づけを使うときは慎重に

・教師の役割って大きいぞ!

「魅力的な教員」になるためには?

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この記事を書いた人

子どもたちの成長を間近で見ることができる、教員の仕事ってとっても魅力的!でも労働環境が良くないのもまた事実。解決方法を模索しながら奔走する毎日を過ごしています。公立小中学校で勤務して11年目です。
教育大学卒。専門は社会科(政治学)。ネコ派。二児の父。

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