子どもに「どうして勉強しないといけないの?」と聞かれ、答えに詰まっちゃった…
ほうほう、それはどうして?
あたし自身が勉強する意味がわからないまま、学生時代を過ごしたからかなあ…親や教師に言われるままに勉強して、記憶して、テストをやって…の繰り返し。
大人に言われるままに勉強している子、言い換えれば「勉強する意味=人に言われたから」という子は、体感ですがかなり多いと思います。しかも、まじめな子どもほどそういう傾向が強いように感じます。
で、あたしは答えられなかった。なんて言ってあげればよかったんだろう?
自分で納得していない答えを伝えても、子どもには響きません。まずは「どうして勉強しないといけないのか」という問いに対する、自分の答えを探しましょう。これは人から教えてもらうのではなく、自分自身との対話の中でのみ獲得できるものです。
自分自身との対話かあ…とはいっても、何かヒントはほしいなあ。
では、僕自身の答えを紹介します。これが唯一絶対の答えであるわけではありません。僕の考え方を参考にして、自分の答えを探してみてください。
勉強とは、しかたなくすること
「勉強」のもともとの意味は、②にあるように「気が進まないことを、しかたなしにする」というものであるとも言われます(諸説あります)。ですから、「勉強しなさい」と言われていい気分にならないのは、当然のことなんですよね。しかたなく取り組みなさい、と言われているのですから。
勉強にはそのような意味があるため、僕自身は「学習」という言葉を使います。「今日の勉強は…」→「今日の学習は…」といった具合です。ささやかな抵抗というところですが、言葉の意味を知っておくことは重要だと思っています。
理由① 選択肢を増やすため
さて、勉強はしかたなしにするものとはいえ、重要なことであることも事実です。子どもたちから「どうして勉強しないといけないの?」と聞かれたときに「それはね、仕方ないからだよ」としたり顔で言っていたら、子どもたちはますます主体的には学ばなくなるでしょう。大人に対して絶望さえするかもしれません。それはよくない。
僕自身の一つ目の答えは「選択肢を増やすため」です。
我が国の進路選択のシステムは、学力を基準にしています。幼稚園入試…はそうでもないかもしれませんが、中学校受験、高校受験、大学受験、就職試験など、多くの進路選択の場面で、学力検査が行われます。部活動の実績や人物評価に重きを置かれる場合も増えてきていますが、依然として主流は学力検査です。
反論の余地がありますが、学力は「どれだけの時間を勉強に費やしたか」によって決まります。もちろん才能も全く無関係ではないでしょう。記憶力の良し悪しも影響があるでしょう。けれども、そういった才能を差し引いてもなお、学力検査は「平等」に近い検査方法であると思います。
もしも進路選択のシステムが、100m走のタイムを基準にしていたとしたら、どうなるでしょうか?あるいは、砲丸投げを基準にしていたら?身長を基準にしていたら?…そう考えていくと、学力(どれだけの時間を勉強に費やしたか)によって個人の進路が決まっていくシステムは、機会の均等という意味において「平等」に近いものであると思います。学力は苦手であっても、こつこつと継続することによって、誰もが一定のレベルにまでたどり着くことができます。100m走や砲丸投げでは、生まれ持った才能や体格による差が大きいでしょう。身長なんて言わずもがな、です。
ということは、学力を伸ばす(勉強に時間を費やす)ほどに、自分自身の進路の選択肢が増えることになります。我が国のシステムにのっとれば、当然そうなります。これが一つ目の理由、「選択肢を増やすため」です。
理由② 視野を広げるため
4月、僕は最初の授業で、次のようなオリエンテーションをします。(中1を想定)
おもむろにチョコレートを取り出します。教室は騒然とします。子どもたちからは「くれるの?」「ボクは明治派だな」「学校に持ってきちゃいけないんだよ!」などなど、さまざまな反応があります。そこで、次のような発問をします。
「このチョコレートを見て、思いつくことを言ってみましょう」
普通に出るのは、「あまい」「おいしそう」「バレンタイン」…といったところ。
ちょっとくわしい子は「カカオ豆からできる」「アフリカから輸入している」といった発言をします。まあ、ここまで知っていれば上等です。
マニアックな子がいれば、「フェアトレード」「モノカルチャー」といった単語も出るかもしれません。出ればその発言を利用して、出なければ教師が紹介して次へ進みます。
「このチョコレートは、100円で売られていました。安いよね。特売の日には、80円でも売られます。1枚のチョコレートが日本で売れるとします。さあ、チョコレートの原料となるカカオ豆を作っている人には、いったい何円の収入があるでしょうか?」
…と、このように社会科の見方・考え方である「事象同士のつながり」を考えさせていきます。そして、
「1枚のチョコレートから『アフリカの貧困』まで想像できる人と、『おいしいもの』とだけしか考えられない人では、明らかに心の豊かさが違います。その違いを生むのは、視野の広さです。では視野を広げようと思ったら、どうしたらいいのか。まずは知識を増やすことです。どうしたら知識は増えていくのか?…そう、学習することですよね。」
と続けていきます。さらに、
「『別に知らなくても生きていける』と思った人は、その通りです。スーパーでの買い物の仕方とか、電化製品の使い方とか、そういった最低限の知識があれば、この社会の中で生きていくことはできます。なんなら生活保護の制度もありますし。でも、視野が広い方が、より多くのことを考えられます。より豊かな人生を送ることができます。今回の場合であれば、1枚のチョコレートから、アフリカの経済・歴史・社会構造などが見えるようになるのです。」
といった内容の話をして、オリエンテーションを終了します。これが僕の考える二つ目の理由「視野を広げるため」です。
まとめ
いかがでしたか?私たちが未熟な存在として生まれる以上、「よりよく生きる」ことは、人間の根源的な欲求でもあると思います。そのあたりのことまで絡めて子どもたちに話をできるといいんじゃないかなあ…と思っています。僕の考えをもとに、あなた自身の考えをぜひとも深めていってくださいね!
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