保護者対応って苦手です…何言われるかわからなくて怖いですし、何言っていいかわかりません…
わかりますよ。どうやって対応したらいいのかはもちろん保護者によっても違います。それぞれの保護者によって性格や家庭環境が違うため、マニュアルを作ることができないからです。
マニュアルとまではいかないまでも、「こうしたらいいよ」という指針があるといいんですけど…何かありますか?
…ありますよ!
え?マジで?
保護者の心理をひも解くことで、教員がとるべき言動の指針が見えてきます。今回はそのことをお伝えしますね。
保護者は不安を感じる存在である
教師が思っている以上に、保護者は不安を感じていると思われます。まず第一に、「学校の中で起きていることを知る手段がなく、情報が入ってこない」ことに対する不安。これについては、学級通信を発行することでかなり軽減されると思います。
もうひとつは、「自分の子育てはこれでいいのだろうか」という不安です。今回は主にその不安の軽減についてお伝えします。
日本は「恥の文化」である
キリスト教圏では、人々は”神の教えに対して、罪であるかどうか”という基準に照らし合わせ、自らの行動を選択しています。いわゆる「罪の文化」です。これに対し日本では、人々は”隣人の目から見て、恥であるかどうか”という基準に照らし合わせ、自らの行動を選択しています。これを「恥の文化」と呼びます(ルース・ベネディクト著「菊と刀」を参照)。
この記事を読んでいる方も、他人の目を気にしながら生活をしているところがあるのではないでしょうか。つまり、この意識は現代でも通じるところがあります。もちろん保護者であっても、例外ではありません。
学校と保護者と「恥の文化」
それでは一体、保護者が何に関して他人の目を気にしながら生活しているかというと、それは「子育て(以後、教育とします)」です。
子どもたちが通う学校とは、子どもを一か所に集めて、教育を行う場です。教師(学校)が意識していようといまいと、学校では子どもたちの能力の優劣が表面化します。学力、体力、コミュニケーション力…様々なテストが行われ、子どもたちは否応なしに自らの能力を測られ、比較され、優劣を見せつけられることになります。
この優劣は、当事者である子どもたちにとっても大きな関心ごとであることはもちろんのこと、子どもたちを教育してきた保護者にとっても関心の高いことです。なぜなら日本は「恥の文化」であり、”他人と比べて恥ずかしくないかどうか”が大きな関心を集めるからです。事実、保護者はわが子のテストの点数を上げることに躍起になったり、運動会のリレーの着順に文句を言ったりします。保護者にとって子どもの優劣とは、自らの遺伝子やここまでの教育の優劣でもあるからです。
近年注目されている「非認知能力」のように、テストで測定することが難しい能力も認知されてきているとはいえ、実際問題として学校の様々なテストの結果は、保護者にとって自らの教育の肯定や否定につながりやすいのは事実でしょう。つまり、保護者にとって学校とは、「自らの教育に価値づけをする機関」であると言えます。言い換えれば、「いつ学校から、自らの教育を否定されるかわからない」ということです。ここにすべての保護者が潜在的に抱える不安があります。たとえ優秀な子であっても、テストの結果が悪くなることなど、誰にとってもありうることだからです。
保護者の抱える不安を理解する
「いつ学校から、自らの教育を否定されるかわからない」という不安に加えて、「学校に子どもの身体を預けている不安」や「子どもの成績、並びに進路の決定権を握られているという不安」など、保護者が抱えている不安は多岐にわたります。このように、学校と保護者のパワーバランスは均等ではなく、圧倒的に学校が強いのです。だからこそ、教師はこれらの不安を理解することが必要になると思います。
保護者の抱える不安を理解し、共感することで、保護者の信頼を得やすくなることでしょう。それは教師から見れば、保護者を味方につけるということになります。保護者を味方につけることができれば、学級経営の難易度は一段階下がります。教師の意図を保護者が組み、子どもに働きかけてくれる(すべての家庭がそうであるわけではありませんが)からです。学校と家庭の両面から、子どもを教育することが可能になります。また、教師の失敗も保護者によってカバーされる可能性が高くなります。
保護者の不安を和らげるもの、それは「感謝」
それでは、保護者の不安を和らげるためには、実際のところ何をしていけばよいのでしょうか。僕が実践していることを、いくつか紹介します。
クレームに感謝をする
クレームの電話は、対応していてもあまりおもしろくないものです。基本的にはこちらの否定ですから、それは当然です。しかし、前述のとおり保護者は不安を抱えた存在です。ですから、不安を感じながらクレームを入れて「くれて」いるのです。「わざわざ」学校側に不安や不満を教えてくれているのです。僕はそのことに感謝をします。
具体的には、話が落ちついたところで「教えていただき、ありがとうございました。学校側からだけでは気づけないところもたくさんありますので、こうして教えていただけると嬉しく思います。」と伝えます。
クレームではあるものの、保護者は自分自身の貴重な時間を使ってまで、学校に情報をもたらしてくれています。そのこと自体に感謝をすることができると、保護者を味方につけやすくなるように思います。
電話をとってくれることに感謝をする
こちらが保護者に電話をかける場合、みなさんはどのように切り出しますか?僕はまず「今、〇分ほどお時間いただいてよろしいですか?」と聞き、OKなら「ありがとうございます。それでは…」と本題に入っていきます。ちょっとしたことですが、この手立てはかなり有効であるように思います。
そもそも、電話はとても失礼な連絡手段だと僕は思っています。電話は、相手の都合はいっさいお構いなく、最上級の対応を要求するものです。だからこそ電話をかけるときには相手の都合を確認しなくてはならないし、相手がわざわざ時間をとってくれたのならば感謝を伝えなくてはならない、と思います。
このようなちょっとした気遣いが、保護者を味方につける上で大切なことだと思います。「あの先生は保護者の話を聞いてくれる」「保護者との関係を大切にしてくれる」といった情報は保護者同士のネットワークにより、学校を超えて(ここが超!重要です)出回ります。ですから、どの保護者に対しても誠実に対応することが大切です。
まとめ
いかがでしたか?保護者を味方につけることができれば、学級経営は楽になります。保護者の心理を理解した上で、誠実に対応するときっと良いことがありますよ。
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