もはや思考停止状態にあるのではないだろうか?
「宿題は、出すもの」というところで思考が止まっている生徒、教師が多いなあと感じます。何のために出しているのか、と問われれば、当然「学習した内容を定着させるため」という教科書通りの答えが返ってくるのでしょうが、それって本当に効果が上がっているのでしょうか?
例えば、クラスの中には3つくらいの学習集団があります。
一つ目は、宿題をきちんとこなしてくるグループ。全体の5~7割というところでしょうか。宿題をやらないなんて、とんでもない!という考え方の生徒たちです。彼らは非常に真面目かつ意欲的ですから、教師が提示した宿題をきちんとこなします。どんな内容であっても、です。つまりは向学心に富んでいる生徒であるわけで、ぶっちゃけほっといても伸びます。授業をきちんと聞き、自分で定着させようとする気概があるからです。
二つ目は、サボりながらも宿題を出してくるグループ。こちらは全体の2~3割といったところ。適度に手を抜ける才能をもち、要領の良い生徒が多いです。人生をしたたかに生きていくのは、きっとこういった生徒たちでしょう。手を抜くことも重要な技術の一つであると思います。多くの場合、彼らにとって宿題とは「腕の運動」であるため、やってもやらなくても学習効果としてはあまり変わらないでしょう。むしろ時間の無駄である、とさえいえるかもしれません。
最後は、能力的に宿題をこなすことが難しいグループ。全体の1割ほどです。彼らにとっては、勉強は苦痛以外の何物でもありません。したがって、二つ目のグループと同様に(もちろんその行動原理は異なりますが)宿題とは「腕の運動」です。
僕は二つ目のグループでしたよ!要領よくやってました。
こうしてみると、本当に宿題ってなんのためにあるんだろう…
「宿題=出すもの」という思い込みが、教師の中に大きいのではないでしょうか。もちろん保護者の中にも。働き方改革の波が来ていますので、どうしたらもっと効率よく学習を定着させられるのかと考えなくてはいけないのかもしれません。
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