先日、同僚と議論になりました。
どちらが正しい、とも言えないのではないか?とも思うのですが、ちょっともやっとしています。
公教育に携わるものとして教壇に立つ以上、教師の思想や哲学はなるべく抑えて発言したほうがよいと思います。
教師の思いを伝えることこそ、教育なんじゃないのかな
?
もちろん思想や哲学は、発言や文章の端々ににじみ出てしまうものだと思います。でもだからといって、それを匂わせてしまうのはどうかということです。
すると、教師には「思想・良心の自由」がない、ということになる。教育基本法には「日本国憲法の精神にのっとり」とあるので、これは法令に矛盾してしまう。
「思想・良心の自由」は内面の自由であるので、当然ながらそれは保障されている。今回問題になっているのは「表現の自由」です。
例えば君が代斉唱の際、起立しない教師が問題視されたことがありました。君が代に対する個人の思想は憲法によって保障されているが、それを公教育の場で表現することには問題があると思います。
…というような議論でした。
僕自身は上述の通り、生徒たちに対して教師の思想を押し付けることのないようにしなくてはならない、という立場をとっています。
これは生徒たちが子どもであり、情報を批判的に咀嚼する力がまだ不十分であると考えているからです。高校生や大学生にならいいかなって思いますよ。
でもこの立場を貫くのってとても難しいです。例えば道徳の授業で、「登場人物のA君はすばらしいよね」というのはアウトだと思っています。「A君の行動について、どう思う?」と投げかけ、それに対する生徒たち自身の考えを大切にすべきであるし、それでこそ生徒たちの思考や哲学が深まっていくのではないか?と思います。
どう思われます?
コメント