ついつい相手に期待しています。返信とか言葉とか。
大なり小なり、私たちは他人に期待して生きています。
小さなところではコミュニケーションの際の返事でしょうか。
あいてが思った通りの反応をしてくれなくて、腹立たしく思った。そういった経験ならば、だれしもあることでしょう。
では、そのような期待がどうして生まれてしまうのか?今回はそのようなことをつらつらと書いていこうと思います。
需要あんの?
きっとありますよう。
「期待する」とは
そもそも私たちはなぜ期待をするのか?
あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。 (goo国語辞典)
「物事を都合よく考える」ことが期待であるとも言えそうです。
不確実な未来を都合よく考えたいがために私たちは期待をしている、といったところでしょうか。
有名は逸話はギリシャ神話よりピグマリオンの話。
現実の女性に失望していたピュグマリオーンは、あるとき自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。その彫像から離れないようになり次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテーがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオーンはそれを妻に迎えた。 (Wikipediaより)
要は期待しすぎて彫像がホントに人間になっちゃった!ってことですな。
教育学の用語にも、「ピグマリオン効果」と呼ばれるものがあります。
1964年春、教育現場での実験として、サンフランシスコの小学校で、ハーバード式突発性学習能力予測テストと名づけた普通の知能テストを行ない、学級担任には、今後数ヶ月の間に成績が伸びてくる学習者を割り出すための検査であると説明した。しかし、実際のところ検査には何の意味もなく、実験施行者は、検査の結果と関係なく無作為に選ばれた児童の名簿を学級担任に見せて、この名簿に記載されている児童が、今後数ヶ月の間に成績が伸びる子供達だと伝えた。その後、学級担任は、子供達の成績が向上するという期待を込めて、その子供達を見ていたが、確かに成績が向上していった。報告論文の主張では成績が向上した原因としては、学級担任が子供達に対して、期待のこもった眼差しを向けたこと。さらに、子供達も期待されていることを意識するため、成績が向上していったと主張されている。 (Wikipediaより)
もっとも、こちらのピグマリオン効果には現在も懐疑的な見方もあります。
とはいえ、期待していることが相手に対して及ぼす効果については、一定のものがあるでしょう、期待されているからこそ頑張れるってこともありますよね。
ですが、「期待」しすぎるのは考えものでは?と思っています。
期待すると、どうなる?
クリスマス会で、プレゼント交換をしたことがあります。
ありますよね。たいていほしいものでもないっていう。
そうなんですよね。箱の中身が見えないと、あれこれ想像しがちです。もしかしてアレか?いやいや、ひょっとしてずっとほしかったアレかも?みたいに。
で、中身を見てがっかりするわけですね。
その通りです。なぜがっかりしたのかと言えば、箱の中身を期待してしまったからです。もしも全く期待していなければ、がっかりすることもないわけです。期待の裏には希望があり、希望があるということは失望もあるということを理解しておく必要があるでしょう。
私たちは未来を予想するとき、少なからず「期待」をします。先の見えない不安を少しでも和らげるための心の機能ではないかと予想していますが、この期待があるからこそ、失望もあります。もしも他人や未来に期待をせずに生きられたのなら、この手の失望を味わわないどころか、予期せず起きたことに対し、感謝の念をもつことができるでしょう。
教育現場に応用すると
「生徒の反応に対して期待をしない」という応用の仕方ができるでしょう。
あいさつをする→「きっといいあいさつを返してくれるだろう…」
授業をする→「きっとみんながおもしろがってくれるに違いない…」
冗談をいう→「腹筋を崩壊させる奴が出たら困るな…」
これらが期待通りにいけばいいのですが、おおむね期待通りにはいきません。当然です。
期待通りにいかないと…腹立たしく思えてくるわけですね。難しいものです。ですから、意識的に期待しないようにしましょう。
あいさつをする→「あいさつは返されないかもしれない」
授業をする→「寝るやつがでても仕方ないな」
冗談をいう→「これで地球温暖化も解消に向かうかもしれないな」
というように。
あえて期待をしないことで、普段通りの生徒に対して感謝の気持ちが生まれます。「(普段通りでいてくれて)ありがとう」と思えます。「あいさつを返してくれてありがとう」「席に座っていてくれてありがとう」など、普段は当たり前だと思っていたことに対してすら、感謝できるようになります。
そうすると、「ありがとう」が飛び交う教室になります。大勢の人間にとって、居心地のいいクラスになっていきます。生徒が自分からやってみよう、という気持ちになってきます。…たぶん。
まとめ
いかがでしたか?ではまた。
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