「先生のおかげで、○○できました!」に潜む罠

哲学
はんめん
はんめん

生徒から聞くとうれしいんですけどもね。

○○には例えば成長とか、合格とかいろんな言葉が入ります。

同僚
同僚

えっ…教師の醍醐味ではないの?卒業式の日とか、よく言われるよ?

はんめん
はんめん

まあねえ。確かにそうですよ。言われるとうれしいし、素直にこの仕事やっててよかった、今までがんばってきてよかったって思いますよね。

同僚
同僚

でしょう?それなら何も問題はないじゃないですか。生徒も感謝している、私たちもうれしい。まさしくウィンウィンの関係ですよね。

はんめん
はんめん

でも、ここに潜む罠はあります。確実に。

教育の目的は、子どもの自立です。これは普遍的なもので、僕の考えだけのものではありません。

上述の「先生のおかげ」という言葉の中には、「自分の力ではなくて」という言葉が隠れています。「(自分の力だけでは不十分だったけれども)先生のおかげで成長できました」ということです。これで、生徒を自立へと向かわせたということができるのでしょうか?

したがって、「先生のおかげで」と言われる回数が多いほど、その教員の教育は不十分であるとすらいえるのではないかと思います。

確かに、「先生のおかげで」と言われるととても気分がいいものです。たとえ社交辞令であったとしても。いやむしろ、社交辞令であったほうが本質的には良いのですけれども。でも、そこに潜む罠に気づかなくてはいけないでしょう。つまり、教育の目的に十分に達することができなかったことを恥じる必要があるでしょう。

卒業式のシーズンには、よくこの言葉が聞かれます。やりがいになることも否定できませんが、自分の教育活動の反省に生かしたいものです。

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