
子どもたちとのかかわりが上手くいきません…

ほうほう、具体的にはどういうことが上手くいかないのですか?

宿題を出さない子に、どんな話をしたらいいのかわからないんです…

なるほど…。子どもたちとのかかわり方は、学級経営の根底でもありますからね。では今回は、子どもたちとのかかわり」について意識していることを紹介します。
教育の目標はどこにあるのか?

そもそもの前提として、何をめざして教育を行っているのか、もしくは行わなくてはいけないのか、ということを意識したいです。
第一章 教育の目的
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第二章 教育の目標
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
わが国の教育の目的と目標はこのようになっています。特に自主及び自律の精神を養うってところが重要だと思っています。
他からの干渉や保護を受けず、独立して事を行うこと
他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること
ざっくり言うと、「自分ひとりで生きていくようになること」だと考えられるでしょう。自主・自律、二つ合わせて「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること」(同上)=「自立」である、と僕は考えています。
長くなりましたが、「教育の目標とは、自立させること」ではないでしょうか。そうであるのなら、親や教師、地域の先達による教育活動の全ては、未熟な存在である子どもがやがて自立し、ひとりで生きていくことができるようにすることを念頭において行われる必要があるでしょう。
その視点に立ったとき、教師として生徒に伝える「言葉」や「手段」は、適切なのでしょう。「態度」や「考え方」は適当なのでしょうか。我々は常にそのことを自問自答する必要があるのではないでしょうか。
例えば、清掃を例にあげましょう。今なお清掃には、箒を使っている学校がほとんどであると思いますが、普段の生活で私たちは、箒を使うことはめったにありません。生徒からそのような話をされ「どうして箒を使わなくちゃいけないんですか?」といわれたら、あなたならなんと返しますか?
「屁理屈言うな、やれ」と言いますか?「心を磨くんだ!」と道徳性を持ち出すでしょうか。「ル○バを買うお金が無くて…」と現実的な話をしますか?
先生によって千差万別、これのみが正解!という答えはないでしょう。要は生徒が納得すればよいのです。ただし、教育の目標である「自立」に沿っている答えであることが前提です。
このように、日々の教育活動は、生徒が自立へと向かうための支援であることが必要だと考えています。そしてこのことを意識すると、教師の言動に一貫性が出てくるでしょう。その一貫性は、信頼感を醸成すると考えます。「この先生は、言っていることに信念があるな」ととらえられやすくなることと思います。
「あなたのため」は真実か

「あなたのためを思って…!」とは絶対に口にしてはいけない、と思っています。そう言う人たちは多くが独りよがりで、真に相手のことを思っていないように感じてしまうからです。
けれども先ほど述べたように、教育の目標は相手を自立させること。したがって、全ての教育的な行動は生徒の自立へ向けた成長のためでなくてはならないでしょう。押しつけがましくもならず、かといって突き放すこともなく。ここが実に難しいところです。
子どもたちとのかかわりの中で、我々はついつい、押し付けがましくなりがちです。よかれと思って言ったことが、全く伝わらないことなど、日常茶飯事。そのたびに「あなたのためを思って」なんて言っていたら、子どもたちの心は離れていってしまうでしょう。「あなたのため」と言う言葉の裏には、教員の自己保身や欲望があることを、子どもたちは敏感に感じ取ることができるからです。
重要なことは、子ども自身に決めさせること

ですから僕は、重要なことは子ども自身に選ばせることであると考えます。選ぶという行為こそ、自立への一歩であると思うからです。
例えば、宿題をやってこない生徒がいたと(現実問題として、うじゃうじゃいます)しましょう。その生徒を、どう指導していきますか?
「宿題はやるもんだ」と言いますか。それはそれで効く生徒もいます。理屈っぽい生徒にはノーダメージであることも多いものですけれども。
「将来のためになるよ」と言いますか?漠然としすぎていて、この手の生徒には入りません。優等生には効くんですけどね。僕なら「どうして宿題をやると思う?」と聞いてみたいです。
どんな答えが返ってきてもいいんです。「なるほどね、その考えもアリだね」「じゃあ、現状をどう改善していこうか」とつなげ、生徒自身に行動を選ばせていきます。そうしていくことで、主体的に行動できるようになるんじゃないかなって思っています。もっとも、こういうことも考えられない生徒は中にはいるので、そういう生徒には懇々と諭すこともあります。
あくまでも生徒のためではあるんですけど、それを全面に押し出してもうまくいきません。思春期ですもの。僕はこう思うよ、どう思う?ってくらいのスタンスがちょうどいいように思います。
まとめ

今回の内容をおさらいしましょう。
・教育の目標を意識しよう
・教員の独りよがりを、子どもたちは見抜く
・子どもたち自身に選ばせよう
いかがでしたか?我々は子どもたちをよりよくしよう、よりよくしたいと思いがちです。けれども目標は、あくまでも子どもたちが自立することです。そのために、子どもたち自身が人生を選び取っていけるようなスタンスでいることが大切なのではないかと思います。
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